提督の要塞!!(TEITOKU'S STRONGHOLD)
 
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東北の旅③

 3日目、4日目は岩手へ!岩手に行くのは初めてなのでワクワク!!宿は北上川の見える綺麗なところ。ただ、3日目は少々疲れていて(前の日に結構飲んでしまったのも手伝って<笑>)、思いの他寝坊してしまった(笑)。左がその北上川!!また3日目は今回は一緒に行った相方の希望もあって宮澤賢治の記念館とか童話村とかを巡った。ここは宮澤賢治の独特の世界感が見れるなんとも不思議な場所!近くにあった池にはおたまじゃくしがたくさん!


 そして4日目、今回の目的である中尊寺を見に行くことに!!中尊寺は16年前の奥州藤原氏4代(初代清衡の父経清が第1部の主役だったので実質5代)大河ドラマ「炎立つ」を見て以来行きたかった場所だ!中尊寺の入り口までは駅からレンタサイクルで5分ほどで近い。そこからは歩いて中尊寺を目指す。(この坂が長いのだ!!)それにしても今回は藤原祭りとかで人が多い。ゴールデンウィークというのもあるかもしれないがとにかく多い!!写真左は途中の展望台のようなところに咲いていたきれいな桜!


 お目当ての金色堂はケースに入っているせいか想像していたのよりもなんだが小さく見えたし、人もなかなか多かったがお参りもできたし満足!しかし、この金箔の阿弥陀像の下に藤原氏4代が眠っているというのは感慨深い。こんな派手なお堂の下がお墓になっているなんて他じゃ例を見ないし、う~ん、京都の藤原氏以上に派手好きじゃのう(笑)。俺だったらこんな金キラの下で安らかには眠れないな(笑)。蘇ってシャウトしちゃいそうだ(笑)。流石に中は撮影禁止だったので、代わりにお隣の質素だけど趣のある経堂の写真を載せておく。


5月6日(水)15:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | METAL WILL NEVER DIE | 管理

東北の旅②

 2日目の福島は鞍石山と安達太良山を梯子!鞍石山(写真左)というのは 安達太良山と阿武隈川を展望できる景勝地で、明治~昭和初期の作家(と言っても彫刻も絵も詩も手がけているから幅広い分野で活躍していたと思われる。)高村光太郎と画家の長沼智恵子が散策を楽しみ「あれが阿多多羅山」「あの光るのが阿武隈川」のフレーズで有名(←文学の知識ほとんどないのに言ってみる<笑>)な智恵子抄”樹下の二人”の詩跡の地らしい。また、伊達政宗が二本松城主畠山氏を責めた折り、重臣の片倉小十郎がこの地に陣をおいて、そこにあった石に馬の鞍をかけたというエピソードが残っているとか。


 そして安達太良山は標高1699.6mで頂上との標高差350mまでロープウェイで行けるお手ごろな?山だ!なので今回のように1日で何箇所も巡る旅でも結構行けそうな感じだったので登ってみることに!
 ところが、頂上に着くとなんか長靴が置いてある。どうやらまだ雪が残っているようだ。とりあえず無料ということなので借りて登ってみたが、山道の大部分が雪に覆われていて半ば道が分からない(笑)本当に登れるのか??と思ったので、山道で雪かきをしている地元の方に「どの辺まで登れますか?」と聞いてみたら「長靴だったらどこまででも行けるべ!」と言われたので(笑)、とりあえず行けるところまで行ってみた。左の写真は途中の展望が素晴らしい薬師岳から撮ったもの。



 しかし先に進めば進むほど、道がよく分からなくなり非常に身の危険を感じたため(笑)、引き返すことに。。。左の写真は引き返す直前の山道を写したもの。もはやどこが山道でどこがそうでないのか分からない感じ。遭難する山ってのはこういうことか!と勝手に思いながら引き返す。今度は雪の無い時に来て頂上まで登ってやるぞ!!


5月6日(水)15:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | METAL WILL NEVER DIE | 管理

東北の旅①

 4月30日から5月3日まで東北へ行って来たぞ!今回は仙台、福島、岩手を3泊4日で巡るという強行スケジュール!!最初は福島を1日目に巡るはずだったのだが、バスが取れず仕方なしに東京→仙台→福島→岩手という凄い順番で巡ることになってしまったのだ(笑)電車?新幹線?いやいや、やはり朝出発ならバスが安くて楽しい!景色もうんと見れるし、途中のドライブインで焼き鳥やあゆの塩焼きを買って持参したおにぎりと一緒にほお張る!これがいいんだ!!
 仙台は色々巡ってみたかったんだけど日程的にも時間的にもきつかったので今回は多賀城の跡を見に行った!そしてこの写真!なんだか分かるかい?そう、これは多賀城の屋根の瓦!史跡内を掃除している地元のおじさんからいただいたものだ!!(掃除していると稀に出てくることがあるらしい!)写真だとちょっと分かりづらいかもしれないが、この瓦には、裏側に布の目がついている。これは奈良時代から平安時代にかけて作られた瓦の特徴で、木型に入れて瓦の形を作った後に剥し易くするために、間に布を挟んだからである。そしてこうした瓦は布目瓦と呼ばれている。



 そして、左の瓦は赤茶色をしているが、これは高温で焼かれたため。 多賀城は780年に伊治呰麻呂の乱が起こった時と1090年に焼失しているからそのどちらかの頃のものと思われる。これは超貴重だ!! 780年なら1200年以上前のものだし、1090年でも1000年近く前だ!


 ってなわけで、仙台はあまり色々な所を巡らなかったけれど超レアものを手に入れたので良かった!!これはケースに入れて飾っておこう!!そして左の写真は牛タン定食!本場の牛タン美味過ぎ!!脂ものっていて柔らかくて素晴らしい!!


5月6日(水)15:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | METAL WILL NEVER DIE | 管理


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